東大の発表を読んで、秋

大学受験

9月中の発表

9月25日夜の共同通信で、次のような記事が出ました。

東大、英語民間試験を義務付けず
 東大が、2020年度からの「大学入学共通テスト」の英語で導入される民間検定試験について、2次試験では受験生に得点(スコア)の提出を義務付けない方針を決めたことが25日、関係者への取材で分かった。一定の英語力を出願資格として求めるが、民間試験のスコアだけでなく、高校の調査書などで実力が証明されれば代用可能とする。近く発表する。
 共通テストの英語は最初の4年間、従来型のマークシート式試験と、「読む・聞く・書く・話す」の4技能を測る民間試験が併存する見込みで、大学入試センターは今年3月、英検(新方式)など7団体の8種類を認定した。

すぐに東大からも発表があるだろうなと思ったところ、9月26日に公式に発表がありました。
https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400099890.pdf

今回の結論

この件については、春先からずっと追っかけをしています。
そのブログはこちらです。


東大の発表を読んで思うこと
方針転換?『東京大学の入学者選抜に関する考え方について』と題して、東京大学が4月27日に発表しました。3月のブログで、東大が2021年度入試の段階では民間試験を合否判定に使わないという発表をしたことに触れました。そこでは、受験生が民間試験を...

https://yourmomentoftruth.com/2018/07/17/post-454/

7月の答申では、優先順位を付けた3つの提案を行っています。
提案1:出願にあたって認定試験の成績提出を求めない。
提案2:認定試験をめぐる諸課題への対応について文部科学省ほか関係機関からの具体的かつ詳細な説明を受け、十分に納得のいく回答が得られたらその時点で認定試験の活用可能性について検討する。
提案3:認定試験のA2 レベル以上の結果を出願資格とするが、一定の条件のもとに例外を認める余地を残し、可及的速やかに具体的な要件を定める。

提案2に対して、五神真総長が林芳正文部科学大臣に面会し、以下のように結論付けたそうです。

今回の方針決定に先立ち東大の五神真総長が林芳正文部科学大臣に面会したという。東大の説明によると、民間試験の実施で採点ミスやトラブルが発生した際に文科省や大学入試センターに事態収拾の責任があるとする林文科相の発言があったことから、民間試験の成績提出を選択肢の一つとして志願者に課すことを決めたという。

(出典:高校生新聞 http://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/4466

A2 レベル以上を出願資格とするものの、高校の調査書で示されればOK。加えて、民間試験の結果を使いたければ使うことも良し。
普通にA2レベルがあれば、門戸を閉ざすことはないという結論になったわけです。

場外乱闘?

今回の件については、思わぬところの記事が波紋を投げかけています。
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/55.php

今回の高大接続改革を推進してきた安西氏(元慶應義塾長)が、東大を痛烈に批判している内容です。
ただし、これが議論になっているのかというと、かなり怪しいのですけど。

国家のためか、国民のためか

東大は国家のための大学として、世界の転変の中でわが国と世界の未来を創っていく、またそのためにリーダーシップを取れる卒業生を多数輩出して世界の一流大学として人材ネットワークを創り上げていく、その牽引者たるべき責任がある。現状の東大入試は、この大きな責任を全く果たせていない。

「国家」という言葉を、どのような意味で使っているのかなと、まずはひっかかってしまいました。
日本は国民主権の国家のはずですから、主権者は国民です。よって、国民の利益が最優先されるべきものです。
しかし、主権を行使するのは時の政府であるため、主権者の国民の意思とは無関係に行使されないように、さまざまな仕組みで守っています。
憲法しかり。選挙しかり。
国家の主権を行使する主体によっては、「国家」の意志が国民とはかけ離れる可能性もあることの戒めは、歴史が教えてくれているはずです。
ですから、安西氏がなぜ「東大は国民のための大学」と言わず、「東大は国家のための大学」と言ったのかが、非常に気になるのです。というよりも、そもそもこの認識の違いが、東大WGと安西氏で大きく異なっているのではないかと思うのです。

世界から優秀な学生を集めることが目的か

とりわけ英語入試だ。受験の期日も場所も狭く限定されたペーパーテスト中心の内容では、世界から優秀な学生を集めることなどできはしない。

教育機関としての大学か、研究機関としての大学か、どちらを想定しているんでしょうね。
そもそも高大接続改革は、「予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てること」を目指していたのではないですか?
世界から優秀な学生を集めることが目的ではないですよね。
自らの知性を武器に、英語でコミュニケーションし、英語で発信していくことができる若者を育てたいんですよね。
そのためには、大学の授業のかなりの割合を英語で行ってもついていけて、英語で文献を読み解けるような実力の基礎を、小中高で培うんですよね。
ですが、あくまでも、秀でた知性を持った若者が、英語でつまづかないことが重要なのであって、英語が達者であることが重要なのではないはず。この主従が逆転したような話をするから、混乱してしまうのです。

研究機関の大学としては、世界から優秀な研究者を集めることは、とても重要でしょうけど、その研究成果が日本の国益として残ることが前提ですよね。
しかし日本で824億円も交付金を受けていると言って東大を矢面に立たせているけど、国立大学は自ら金を集めてこいと言って、資金を削ってきたのではなかったでしたか。
資金のない大学に、海外の優秀な研究者は集まって来ないし、残りもしませんよ。
良いか悪いかは別として、シンガポールがやっていることを見れば、明確ではないですか。

そしてもう一つ言えば、採用すべきとされている民間試験もまた、ペーパーテスト中心なんですけどね。

ここまで来ると、議論にまったくなっていないと思うのは、私だけなんですかね。

高大接続改革を矮小化しているのでは

高大接続改革は「入試改革」ではない。大学と高校の教育を変える、そのために間に横たわる入試も変えざるをえないということだ。その大前提を東大WGの人たちは理解しているのだろうか。話を英語入試の民間試験利用に矮小化していて、やらないための理由付けをしているようにしか読めない。

高大接続改革の本来の目的を、民間試験利用という話に矮小化してしまったのは、そもそも誰だったんだろうか。

こう考えると、まずは高校教育の実を上げて一次試験受験者のレベルアップを図る。そして、外国語科目の一部を民間委託して学内の負担を軽減する。その上で、独自の二次試験を通して、改めて東大卒業生として世界に通用すると思える受験生を、点数にのみにこだわらず自分たちが責任をもって合格させるべきだろう。

東大の卒業生にも、いろいろな分野において世界で活躍している人はいるわけで。
さらに言うと、優秀な卒業生が、GAFAに吸収されていることが問題なわけで。
そんな現状を、「世界に通用している」のであろう東大卒の官僚の方々は、どのように考えているのだろうか。

ことの重大さは、英語の民間試験で業者を儲けさせてあげるようなレベルではないと思うのだが。

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