対話というテーマで

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2021年4月、東京大学の入学式の藤井総長の式辞は、「対話」に触れていました。

残念ながら、新型コロナに感染されたため、藤井総長は欠席されていましたが、その式辞の内容がWebに掲載されています。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2021_01.html

そこから一部を引用します。

とはいえ、全体の理解はとても難しいことです。そこで重要なのが第3の意味での対話です。相手をよく理解できなくても対話を続けると、結果として意外なことが起こります。先ほどお話ししたデザインラボで、「誤解」から新たな宝が生まれるのは、まさにその例でしょう。OMNIの観測機器の活用も、実はこの第3の意味での対話の成果だともいえるかもしれません。そもそも観測機器を手にして海に入る人びとの動機はさまざまであり、必ずしもお互いに意図を共有しているわけではないと思います。しかし、各々がそれぞれの場で海を介した交流を楽しむことで、結果的に海についてのデータが集まってくることになります。

この第3の「対話」は、「ポリフォニー」としての対話である、と考えることができます。ポリフォニーは、多声音楽と訳されます。単一の主旋律と伴奏からなるホモフォニーではなく、独立した旋律が複数あり、結果として一定の調和を見る音楽のことで、いわゆるバッハのフーガなどに代表される形式です。組曲「アルルの女」の最後の「ファランドール」などもそうですね。

ポリフォニーでは、一致することを目指さない多様な声が響きあうことで、結果として何かが生まれます。その前提には、他者のことはそう簡単には理解できないという認識があるとも言えます。現代の世界では、共感にもとづいた理解などとても生まれそうに思えないほど、社会の分断が顕在化しています。アメリカ大統領選挙をめぐる騒乱は記憶に新しいところですが、世界各国においてマイノリティに対するヘイトクライムをはじめ、耐えがたく殺伐とした空気が広がっています。

地球上には70億人以上の人が暮らしており、相互理解を進めること自体、容易ではありません。しかし、声を聞くことから始めることはできますし、自分が声を上げてそこに響き合わせることもできます。大切なことは、対話への試みをやめないことです。

そのようなことを思い出しながら、西研氏の『哲学は対話する』を読んでいました。

その437ページからの「〈対話の関係〉による物語の再構築」という節は、まさに近い内容かなと。

たとえば東京大学の二次試験の現代文で、「対話の関係」と「共同体の物語の再構築」といった内容を掘り下げる設問が出たら面白いのに。

分断が大きな問題となっている現代だからこそ、対話とはなにかをあらためて考えることが重要なのだと思います。

そんなことを考えていました。

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