平成を超えてミライへ

ミライ科

ピークアウトした平成

大きな戦争を経て、新たな経済成長を遂げてきた昭和。
それに対して平成は、いろいろな点でピークアウトを経験した(経験している)時代と言えます。
まず日本の人口は、2008年の1億2800万人をピークに、減少へと転じています。

平成元年である1989年の1億2300万人、2008年の1億2800万人、2018年の1億2600万人と、30年間で500万人の間を増減した訳ですが、社会へのインパクトは非常に大きなものでした。

生産年齢人口

まず15歳から64歳までの生産年齢人口の減少が、大きなインパクトを与えています。
総人口のピークを迎える13年前、1995年に8,700万人でピークアウトしたのち、2018年に7,500万人まで減少しています。23年間で1,200万人の減少、14%も減ってしまっています。

これまで100人で仕事をこなしていた会社が、86人で会社をまわしていかなければならない状況です。
そうした状況の中で、日本企業はグローバル化を進め、海外拠点で現地の社員を採用し、少ない日本人で企業を運営するようになってきた平成の時代です。

18歳人口

18歳の人口は、生産年齢人口よりもさらに早く、1992年に200万人でピークを迎え、2018年には118万人にまで減少しています。26年間で82万人、実に41%も減ってしまっています。

多くの企業では、中堅以上の社員に対して、若手社員の比率が下がり、部下を持たない管理職が、そこかしこにいるような状況となっています。若手が少ない職場は、やはり活気に欠けます。どこか停滞感を感じるのは、日本社会の縮図のようです。
いっぽうで1996年ごろに新卒で就職活動をしていた学生は、なかなか企業の内定を取ることができず、場合によっては定職につくことができずに、平成の時代を過ごしてしまっているケースも多くあります。職業を通じてプロフェッショナリティを磨く機会を持てず、何年たっても定職につくことができないという悪循環へと陥ってしまいます。

まだら模様の地域

こうした人口の減少は、全国一律で進んでいるわけではありません。

1989年から2015年にかけての人口の増減率を都道府県別で見ると、首都圏や各地の都市部では人口が増えているいっぽうで、その他の地域では人口減少が著しくなっています。たとえば九州では、福岡県が防波堤になって移動人口を吸収しているとも見て取れますが、福岡県以外での人口減少は非常に大きなものとなっています。
このように人口の増減については、地域によってまだら模様となっているのが現実です。人口減少が著しい地域をいかに活性化していくか、これは大きな課題になっています。

リデザインの令和へ

ピークを迎えると、そこからの変化量以上に、傾きが増加から減少に転じたことの質的な変化が大きな影響を与えることとなります。変化量が異なっても、増加という傾きが同じであれば、従来と同じ対策が有効に働く可能性は高いものです。しかし傾きが変わってしまうと、従来の対策が有効に働かないどころか、逆効果になる可能性もあります。
そうなった場合は、ゼロベースで対策を見直す必要があります。
つまりリデザインです。
平成では、ある意味で昭和からの延長での対策に終わってしまっていたように思います。
令和は、社会のあり方をリデザインする時代なのだと思います。

タイトルとURLをコピーしました