神保町の「天丼いもや」が3月いっぱいで閉店というニュースがありました。
浪人時代、駿台予備校の食堂はいまいちだったので、たまに坂を下って「いもや」の天丼にお世話になっていました。
アルバイトもしていない浪人の身分なので贅沢は許されませんでしたが、天ぷらを目の前で揚げてくれる天丼をリーズナブルな値段で頂けたのは、貧乏学生にはたまらない贅沢でした。
その「いもや」が閉店というのは、自分の青春時代の遺産が一つ消えるようで、複雑な気分になります。
高校時代、練習試合の帰りに部活の顧問に連れられて、顧問が大学生時代に通っていた中華料理屋でご馳走になることが、よくありました。
自分自身が大学に入ってからも、学生向けの食堂には本当にお世話になりました。
しかし大学を卒業してしまうと、そうした食堂に足を向けることはほとんどありません。
「いもや」だって、お茶ノ水界隈で仕事があった時に、たまに暖簾をくぐるぐらいで、数えるぐらいしかありません。
それでも、いつも客が並んで待っていたので、店を続ける上では問題ないのかと思っていましたが、やはり現実はそうもいかないのでしょう。
先代のオヤジの心意気で続けてこれていたのが実情で、そうした人情だけでは続けるのは厳しいというのを思い知らされました。
経営企画のような仕事をしていると、「合理性」を錦の御旗に考えがちなのですが、その路線で進めば、こうした商売は収益性が低いというレッテルで、真っ先に切り離されてしまします。
理性ではそれがしょうがいないことは百も承知なのですが、割り切って考えられない自分がいるのも確かです。
一昔前であれば、高校時代の顧問のように自分の教え子や後輩を店に連れていって、店のファンを少しずつ増やしていくことで、世話になった店の役に立てたように思います。
しかし、現在はそれだけでは立ちいかないような。
若者が減った人手不足の現代は、時給の低い仕事ではアルバイトを集めることさえもままならない。
ましてや、生涯賃金が低い仕事では、社員として雇用することも難しい。
そうした時代には、「いもや」のような商売は成立しないのかもしれない。
統計データをもとにした「サービス業の生産性が低い」という指摘を見れば、しょうがいないことは承知しています。
ですから、適正な価格をつけて売るべきというのはもっともだと思います。
こうした学生街の食堂も、現役生値段と卒業生値段の二段構えにして、卒業生は昔お世話になったことを価格で恩返しするということが必要なのかもしれません。
自分の青春時代の思い出を失わないためにも。
そんなことを思ったニュースです。